• 公開日:2022/02/03
  • 更新日:2022/02/28

浮世絵の美人画とは?

役者絵、風景画、武者絵、春画などの浮世絵のジャンルの一つ

浮世絵とは、江戸時代に誕生した当時の人々の関心があったものや、風俗を描いた絵です。しかし、最初は独立した1枚の絵ではありませんでした。
江戸幕府が開かれてから80年後、武士などの権力者に代わって、町人たちが文化の担い手になる町人文化が花開きました。歌舞伎や人形浄瑠璃、浮世草子(町人の間で好まれた流行の文学作品)が町人の中でブームとなり、中でも絵入りの本は気楽な娯楽として人々の人気を集めていました。

この時代まで絵といえば手書きの肉筆画が主流でしたが、本を大量生産するにあたり、絵を版木に彫って墨で摺る、木版画の技術が発展します。とはいえ、本のメインは文章であり、絵はあくまでも添え物に過ぎませんでした。しかし、「見返り美人図」で知られる菱川師宣の登場によってそれは一変します。

師宣は文字のスペースを狭めた分、挿絵を大きく描く「絵主文従」の本を出版し、江戸庶民の度肝を抜きました。やがて師宣は「一枚摺」と呼ばれる、絵を本の形式から独立させた版画をつくり出し、人々は絵を所有するという楽しみに目覚めました。これが浮世絵の始まりといわれています。

浮世絵は、画題(何を描いたものか)によってジャンル分けすることができます。例えば、日本各地の風景をテーマにした「風景画」、歴史や物語の英雄の勇ましい姿を描いた「武者絵」、当時のおおらかな性事情を楽しく表現した「春画」などがあります。中でも流行の最先端であった芝居小屋と遊郭は人々の関心が高く、人気の歌舞伎役者を描いた「役者絵」や、当時のファッションリーダーであった遊女などを描いた「美人画」は多くの作品が残されました。

美人画の始まりはいつ?禁じられた時代もあった?

美しい女性を主題にした「美人画」は江戸時代前期から好まれたジャンルの一つでした。
17世紀半ばに、掛け軸に立ち姿の美人を単独で配置した「寛文美人図」とよばれる風俗画が描かれ、後の美人画に大きな影響を与えたといわれています。菱川師宣は寛文美人図を踏襲した肉筆画を残しており、「見返り美人図」もその一つです。

当初の美人画は絵師の理想の美人を具現化したものでしたが、18世紀後半になると、実際に存在する遊女が名前とともに描かれるようになりました。
さらには、水茶屋と呼ばれる、観光地や参拝客で賑わう寺社の門前に建てられた休憩所で接客する看板娘が描かれるようになります。これは観賞用としてだけでなく、美人看板娘の存在が、店の売り上げに直結するため、コマーシャル的な役割も担っていたのです。

その後、美人画は浮世絵の花形として数々の作品が生み出されてきましたが、18世紀末になると、寛政の改革によって、美人画は「風紀を乱すもの」として検閲され、自由に浮世絵を発行できなくなりました。
また、遊女以外の女性の名前を画中に記すことが禁じられたため、判じ絵(絵で表した謎解き)で名前を記した作品も制作されましたが、後に判じ絵も禁じられました。

美人画の有名絵師といえば?人気を集めたのは喜多川歌麿

江戸時代は様々な絵師が当時の美人を描きました。先述の菱川師宣をはじめ、鈴木春信、磯田湖龍斎、鳥居清長、喜多川歌麿、歌川国貞、渓斎英泉などが活躍しました。中でも美人画に革新をもたらした絵師が喜多川歌麿です。

歌麿の業績の一つに「美人大首絵」の確立が挙げられます。大首絵とは上半身を大きく描いた浮世絵で、当時は主に役者絵に使われる手法でした。この大首絵を美人画に取り入れることによって、歌麿は女性の表面的な美しさだけではなく、細やかなしぐさや顔の特徴、そして喜怒哀楽といった感情までも表現しようとしたのです。

ではなぜ、歌麿以前に美人大首絵がなかったのでしょうか。一つが美人画は全身を描くのが通例であったこと、もう一つは、美人の顔をかき分ける必要がなかったことにあります。歌麿は、理想化しながらも細かいところは実在の人物に似せようとしました。
歌麿の才能を見抜いていた版元(現代でいう出版社)・蔦屋重三郎は、美人大首絵の作品集『婦人相学十躰』や『歌撰恋之部』を発行し、歌麿の人気は一層高まりました。

喜多川歌麿「婦人相学十躰 浮気之相」東京国立博物館
  • 喜多川歌麿「婦人相学十躰 浮気之相」東京国立博物館
    出典:ColBase

有名な美人画3選!絵師や見どころを解説!

①菱川師宣「見返り美人図」

菱川師宣の作品で、切手のデザインとしても有名です。歩いている途中で、美人が優雅に振り返る姿そのものは江戸時代以前からある構図ですが、美人の衣装や髪型は当時流行していたものです。

菱川師宣「見返り美人図」東京国立博物館
  • 菱川師宣「見返り美人図」東京国立博物館
    出典:ColBase

②鈴木春信「夜の梅」

鈴木春信による、梅の花見をする女性を描いた作品。
背景の黒は何度も墨版を重ねて摺って表されています。その漆黒の闇に浮かびあがる真っ白い梅と、華奢な腕をのばして梅の花を手燭で照らす女性の組み合わせは、夢幻の世界の人物であるかのような美しさです。
江戸時代の花見は、「梅に始まり菊に終わる」といわれ、桜より早い梅の花見も盛んでした。まだ寒さが残る夜、闇夜に香る梅の花に春を感じたのです。
彼女がまとう着物の白地と足袋は空摺(版木に色をつけずに紙に凹凸をつける技法)によって表されており、摺師のこだわりが見えるポイントです。

鈴木春信「夜の梅」メトロポリタン美術館

③喜多川歌麿「婦女人相十品 ポッピンを吹く娘」

美人画の名手・喜多川歌麿が手掛けた『婦女人相十品』というシリーズの中の1枚で、本作は当時人気の町娘を描いた作品です。
ポッピンとは江戸時代に流行した舶来品のガラス玩具。息を吹いたり吸ったりすると、「ポピン」と音がします。娘のあどけなさが表現される一方、市松模様の振り袖と、ビードロ細工で花扇の文様があしらわれた簪から、娘の豊かな暮らしぶりもうかがえます。

喜多川歌麿「婦女人相十品 ポッピンを吹く娘」東京国立博物館
  • 喜多川歌麿「婦女人相十品 ポッピンを吹く娘」東京国立博物館
    出典:ColBase

美人画には江戸時代の「美人」のトレンドが反映されていた?

「美人画」はグラビアやファッション誌の役割

美人画が人気を集めたのは、ただ美しいからというだけでなく、着物の柄や着こなし、髪飾りなどに流行を取り入れることで、今でいうグラビアやファッション誌のような役割を担う存在でもあったからです。そのため、男性だけではなく、流行に敏感な女性からも一定の需要がありました。

美人の基準は時代によって変化

美人の基準となる顔立ちやスタイルは、時代によって変化します。特に美人画は、一人の絵師の描き方が流行ると、他の絵師もそれを真似するという傾向があり、どの時代のものかが判別しやすいといわれています。

絵師によってそれぞれの個性、比較してみるのも楽しい

美人画の代表的な絵師の中でも、時代が変わると美人の描き方も変わってきます。
鈴木春信は華奢で童顔の人形のような美人、鳥居清長は背が高く、健康的な8頭身美人、喜多川歌麿は繊細で色香漂う美人…というように、作品を比較してみるのも美人画鑑賞の醍醐味といえるでしょう。

心ときめく江戸の大スターたち、憧れの観光地、勇猛果敢な英雄…、当時の流行を描いた浮世絵は人々にとって、手の届かない芸術作品ではなく、日々の生活の中で気軽に楽しむものでした。現代の私たちにとっても、当時のように作品に触れたり、飾ったりすることで、浮世絵のさらなる魅力に気づくかもしれません。

まとめ

ユーキャンの浮世絵入門講座では、喜多川歌麿、鈴木春信、鳥居清長の美人画の代表作をはじめ、浮世絵の名作25点を原寸大の複製で見て、知って楽しめる内容です。見るたびに日本の素晴らしさを再認識できることでしょう。
美人画のほかにも、風景画、役者絵、花鳥画、武者絵…浮世絵の多彩なジャンルを網羅しました。浮世絵の歴史も芸術的な素晴らしさも、存分に味わっていただけます。美しい浮世絵の世界を楽しんでみたい方は、ぜひご利用ください。

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